訪問者(灰原 哀 編)
 その日は特に予定もなく、工藤邸のリビングで推理小説に読みふける新一の傍らで、蘭が鼻歌混じりに掃除をしていた。

 工藤 新一に戻ってからは、暫く”高校生探偵・工藤 新一 復活”の話題が新聞などを騒がせ、目暮警部をはじめ、警察関係者や、学校の仲間やマスコミなどに囲まれて、いつも忙しい生活を送っていた。

 それでも、家に帰る前に、必ず毛利探偵事務所に顔を出し、時には夕飯を食べてから、一人では広すぎる工藤邸に戻るのが習慣になっていた。

 蘭との仲はというと・・・江戸川コナンの正体を知っていた蘭が、工藤 新一の復活にあまり感動してくれなかったお陰で、すっかり告白のタイミングを失ってしまい、未だに”幼馴染で同級生”のままなのだった。
 
 それでも、蘭には、新一の蘭を大切に思う気持ちが伝わっているはずだと思うのは、自分の勝手な希望的思い込みなのだろうか・・・

 そんなことを時々ぼんやり考えてしまう。
 
 それは、コナンの姿でいつも蘭の傍に居た時に心の中にあった不安とは全く違う形をした、漠然とした感覚でもある。

 蘭はというと・・・自分が新一の姿に戻ったところで、これと言ってどこかが変わった訳でもなく、もしかしたらすべてが”夢の中の話”だとでも思っているんじゃないか?と思うほど、以前と同じ”幼馴染ぶり”を発揮している。

 機嫌よく掃除機をかける蘭の姿を横目で眺め、ふと手にした小説に目を戻す。

 小説の中の世界で繰り広げられる左文字の大太刀回りも全く頭に入ってこない。

 諦めて本を閉じた時、工藤邸に重々しい鐘の音が鳴り響いた。

 蘭が掃除機を止め、玄関へ向かおうとするのを手で静止し、自分で玄関のドアを開けると、そこには・・・初めて見る・・・でも、初対面では決してない、同じ年くらいの女の子が立っていた。

 「灰原・・・?」

 玄関先で、その女の子はにっこりと笑った。

 「お久しぶり。工藤君」



 新一が哀を・・・いや、宮野 志保を伴ってリビングへ入ると、二人を迎えた蘭が、一瞬キョトンとした表情で2人の顔を見つめた。

 「・・・哀ちゃん?」

 蘭の問いに笑いながら志保が答える。

 「こんにちは。もう哀ちゃんはやめてくれないかしら?」

 「そうよね。今は・・・志保さん・・・だよね」

 そう言うと、蘭は志保にソファーへ座るように薦め、自分はコーヒーを入れてくると台所へ駆けていった。

 蘭の姿が台所へ消えるのを見届けると、志保はソファーへと腰を下ろしながら新一へ目線を向けた。

 「で?今はすっかり新婚さん気分って訳?」

 「さあな。俺がコナンの姿になる前に無事戻ったって以外はこれと言って進展ねえよ」

 そんな新一の言葉を呆れたように聴いていた志保だが、すぐにからかうように笑った。

 「移ろいやすい人の心も、あなたたちなら言葉は要らないって事なのかしら?」

 「あのなぁ。」

 何か言い返そうと言葉を探したが、すぐに諦め自分もドッカリとソファーへ腰を下ろした。

 「灰原のシュールな口調も相変わらずだな」

 志保が「どういたしまして」と笑って見せた頃、ようやく蘭がトレーにコーヒーとクッキーをのせてリビングへ入ってきた。

 「志保さん。今までどうしてたの?新一、心配してたんだよ」

 「まったく、無事なら無事で連絡くらいしろよな。まだ組織の残党が残ってて捕まっちまったんじゃないかってありもしない事まで考えちまうだろう」

 そんな2人の言葉に志保は悪戯っぽく笑って答えた。

 「あら。組織はあなたが壊滅させてくれたじゃない。あの有名なミステリーグルメさんがそんな風に思ってるなんて、以外だわ」

 「おまえなぁ・・・」

 「それに、私の方は、あなたの動向は新聞を読めば手に取るように分かったし」

 言い返そうとする新一を笑顔で遮って、志保は言葉を続けた。

 「冗談よ。ごめんなさい。今は博士の知り合いで、父の古い友人だって人の研究所で助手をしているの」

 志保の言葉に蘭が心底感心したように頷く。

 「そっか・・・すごいね志保さんは。私と同じ年位なのに、誰にも出来ないことをしてるのね」

 「そんなんじゃないわ。あんな悪魔の薬を作る研究をしていたんですもの、一生かかっても償いきれる罪じゃないわ」

 「哀ちゃん・・・」

 そんな志保の言葉に思わず切ない思いに襲われる。

 漂う切なさを振り切るように、新一がわざと素っ気なくクッキーの盛られている皿に手を伸ばした。

 「んで?今日はやっと重い腰を上げて、顔見せに来てくれたって訳か?」

 「そういう訳でもないんだけど。博士に用事があってきたんだけど、留守みたいだから、時間潰しに寄ってみたの」

 「それはそれは。時間潰しに寄ってくれて、どうも」

 相変わらずの”灰原流”の毒舌に、珍しく振り回される新一を見て、思わず蘭が声を出して笑ってしまう。

 罰が悪そうに新一は蘭と志保を見ると、頭を掻きながら立ち上がった。

 「んじゃ、灰原。この後博士のところに行くんだろ?」

 「ええ。そのつもりだけど」

 「じゃあ、渡して欲しい物があるから預けていいか?」

 「構わないけど」

 「待ってろ。今取って来るから」

 そう言うと新一は颯爽とリビングから出て行った。

 そんな後姿を見送りながら、2人は顔を見合わせて笑った。

 「さすがの新一も、哀ちゃんのまえだと形無しね」

 そんな蘭の言葉に志保がわざとらしくため息をついてみせる。

 「まったく。あなたも工藤君も。どうしても私を”灰原哀”としか見てくれないのね」

 「ご・・・ごめんなさい」

 思わず恐縮した蘭に、志保が珍しく声に出して笑った。

 「冗談よ。”灰原哀”も、間違いなく私なんだもの。今じゃ結構気に入ってるのよ」

 そういう志保の目は、蘭が今まで見てきた”灰原 哀”の瞳と同じ、力強い輝きを放っている。

 そして、今まであった影の代わりに、暖かい優しさが漂っていた。

 「哀ちゃん・・・本当に良かったね」

 蘭は心からの言葉で志保を見つめた。

 

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