訪問者 (平次・和葉編)


 春休みのある日。

 工藤邸の台所は、料理やケーキの良い匂いに包まれていた。
 そして、そこには、機嫌よく包丁を握る蘭の姿とテーブルの上の料理を摘み食いする新一の姿があった。

 「ねえ、新一。急に呼び出して、こんなに料理作らせて、一体誰が来るの?」

 「あ?まあ、待てって。もうじき来る頃なんだからさ。」

 「もう・・・いつもそうなんだから。私には何にも教えてくれないんだもん。」

 オーブンの中を確認しながら、そう不満そうに漏らす蘭を、新一は普段あまり見せない優しい瞳で見つめる。


 コナンの姿から戻って、もうじき1ヶ月になる。

 蘭はコナン=工藤 新一だと言うことに、うすうす気付いていたようで、新一が事情を話したときも、あまり驚かなかった。

 これにはかえって新一の方が驚いてしまい、今までの蘭の、コナンに対しての言動を思い出しては、顔が赤くなる思いをしたものだった。

 工藤 新一に戻ってからは、暫く”高校生探偵・工藤 新一 復活”の話題が新聞などを騒がせ、目暮警部をはじめ、警察関係者や、学校の仲間やマスコミなどに囲まれて、いつも忙しい生活を送っていた。

 それでも、家に帰る前に、必ず毛利探偵事務所に顔を出し、時には夕飯を食べてから、一人では広すぎる工藤邸に戻るのが習慣になっていた。

 蘭との仲はというと・・・江戸川コナンの正体を知っていた蘭が、工藤 新一の復活にあまり感動してくれなかったお陰で、すっかり告白のタイミングを失ってしまい、未だに”幼馴染で同級生”のままなのだった。


 ---ピンポーン---

 玄関の呼び鈴が重々しく鳴り響く。

 「お。来たみてぇだな。」

 そう言って、新一が玄関へ迎えに出たが、暫くすると、聞こえてくるそのお客の大きな声で、蘭にも今日招待されたのが誰なのかがはっきりと分かり、慌てて玄関へと駆け出した。

 「お〜!ホンマや!ホンマにホンマもんの工藤や!!」

 そう言うと、平次はポンポンと新一の体のあちこちを叩いていた。

 「服部君。和葉ちゃん!いらっしゃい!」

 「蘭ちゃん。久しぶりやねぇ。」

 和葉は蘭に駆け寄ると、そう言って、おずおずと新一を振り返った。

 「あの・・・工藤君。初めまして・・・」

 そんな和葉の言葉に3人は顔を見合わせて、大笑いをした。

 「なんや、和葉。初めましてちゃうやろ!」

 「そうやけど、京都の時は、ゆっくり挨拶も出来ひんかったし・・・」

 「ちゃうちゃう。そうやのうて・・・」

 「そうだよ、和葉ちゃん。いつも逢ってたじゃない」

 平次や蘭の突込みにも、一人だけわけが分からずキョトンとする和葉に、新一が少し高い声(新一にとっては”子供声”のつもりらしい)で話してみせる。

 「で、何しに来たの?和葉姉ちゃんと、この色黒男」

 「何や。お前が呼んだんやろう!工藤」

 「蘭姉ちゃん、僕、お腹すいちゃった。」

 普段のキザな新一には考えられないリップサービスだが、これは大いに平次と蘭を楽しませた。

 「はいはい。支度出来てるから、リビングに行こうね。」

 そう蘭に促されて爆笑しながらリビングへ向かう3人の後姿を見送る和葉は、取り残されたような面白くない気分で一杯だった。

 「何やの〜!あたし一人だけ、仲間はずれみたいやんかぁ〜〜〜!」


 それから、蘭の作った料理を頬張りながら、和葉にこれまでの事を説明し、理解させるのにはかなりの長い時間と根気を要したが、聞き終わった和葉は、話続けた3人の何倍もくたびれた様に、ため息をついた。

 「なんや、嘘みたいな話やなぁ・・・。あたしには未だに信じられへんわ。」

 「だよね。私も初めて新一から聞かされた時は、心臓が止まるかと思ったんだから。」

 「何だよ、蘭。お前、ちっとも驚かなかったじゃねえか。」

 そんな新一の不満には、蘭がすかさず言い返す。

 「あら。驚いたよ。でも、いつも私ばっかり驚かされて悔しかったんだもん。」

 「そらそうや。まさか、あの高校生探偵工藤 新一が、ランドセルかろて小学校に通っとったんやからな。誰でも驚くわな。」

 
 それから暫く、4人は”江戸川 コナン”のエピソードに花を咲かせ、ようやく話がひと段落した頃には、テーブルの上には沢山の空き皿が並んでいた。

 平次と和葉も、今日は工藤邸に泊まって行くというので、蘭が片づけを済ませてコーヒーでも出すと言って台所へ下がると、和葉もそれに付いて行った。 


 蘭と和葉の話し声がリビングから遠ざかるのを確かめると、平次は待っていた様に新一に椅子を寄せてきて、小声でからかった。

 「で?その後、あの姉ちゃんとはどうなったんや?上手いこといったんやろ?」

 当然くるだろうと思っていた質問がやっぱり投げかけられた事にうんざりした様に、新一は平次を睨み返した。

 「何や?まさか、進展なしやないやろな?」

 「そのまさかだよ!」

 新一が忌々しそうに答えると、平次は呆れたように新一を眺めてため息をついた。

 「何してんねん。今までずっと行方不明の男を待たせとって、また放ったらかしかいな。」

 「行方不明じゃねぇよ。蘭の奴、コナンが俺だって気付いてたみてぇだし」

 「あほぉ。そんなん関係ないわ。気付いとったとしても、気付かん振りして工藤がホントのこと話してくれるの、ずっと待っとったんやろ。」

 平次に言われるまでもなく、そんなことは分かってはいるが・・・

 「だから、言いそびれちまったんだよ!」

 新一の抵抗にも、平次はまったく攻撃の手を緩めない。

 「はん。どうせ、あの姉ちゃんが思ったほど感激してくれへんかったもんやから、キザなこと言いにくうなっただけやろ。」

 そんなことまで平次に見透かされて、新一としてはまったく持って面白くない。

 「俺のことは良いんだよ。ずっとコナンの姿で傍に居た分、蘭の気持ちは良く分かってるつもりだしな。そのうち何とかするさ。」

 「そのうちってなぁ・・・」

 「それより!」

 平次の言葉をさえぎるように新一は反撃を試みる。

 「お前こそ、彼女のことどうなんだよ。」

 「なんや。誰のことや。」

 「馬鹿。他にいねぇだろ。」

 新一が台所に見える和葉の後姿を親指で刺す。

「あほ〜!和葉なんか!」

 想像以上に狼狽した平次は、思わず自分が大声を出したことに気付いて声を落とす。

 「和葉なんか、なんでもないわ!」
 
 台所へ入り、勝手知ったる様子で工藤邸の台所を行き来する蘭の姿を見ると、和葉は思わず”新婚夫婦みたい”などと想像し、赤面してしまった。

 照れを隠すように皿洗いを手伝うべく、蘭の横に立つと、リビングに見える男2人に目をやりながら蘭に言葉を向けた。

 「蘭ちゃんはえぇなあ・・・今は工藤君とずっと一緒に居れて。」

 そんな和葉に蘭が笑いかける。

 「でも、新一いつも警察とか学校のみんなとか、マスコミとかに囲まれてて、ちっとも話せないし。」

 「それでもええわ。心が繋がってるんやもん。」

 「そうかな。全然そんな感じじゃないんだけどな。」

 蘭の言葉に和葉が不思議そうに聞き返す。

 「なんで?今まで待ってたんやもん。今はラブラブなんちゃうの?」

 「全然。新一がいなくなる前に戻っただけよ。」

 「そんなぁ。そら工藤君あかんわ。蘭ちゃんを今までずっと不安にさせとって。」

 まるで自分の事の様に肩を落とす和葉に蘭が小声で新一の弁護をする。

 「そんなことないよ。実を言うと私、ずいぶん前からコナン君が新一だって気付いてたんだ。」

 和葉が思わず目を見張る。

 蘭は小さくうなずいて見せるとにっこり笑った。

 「だから、無事だって事は分かってたから、そんなに心配でもなかったの。」

 「何で気付いたん?」

 「う〜ん。何となくかなぁ・・・コナン君が時々見せる仕草とか表情が新一に似てたから。」

 「でも、何にも話してくれへんかったら、やっぱり不安になるんと違うの?」

 「そりゃあ、時々は心細くなったりもしたけど・・・新一、絶対帰ってくるって約束してくれたから・・・だから今は、新一が新一の姿でここに居てくれるだけで、嬉しいんだ。」

 和葉が感心したように蘭を見つめる。

 「強いなぁ・・・蘭ちゃんは。」

 そうして2人が目を見合わせて笑いあった時、ふと、リビングから平次の声が漏れ聞こえた。

 「和葉なんか○※◇▲☆■※▽!!」






 リビングの平次の声が、思いがけず大きかったので、それは台所の蘭や和葉の耳にも届いたらしかった。

 『和葉なんか』というフレーズが、どうやら和葉の癇に障ったらしく、台所の和葉が振り返った。

 「何か言うてる?」

 「なんもない、なんもない。」

 平次が慌てて台所に作り笑いを向ける。

 「今何か言うてたやろ。」

 和葉が濡れた手のまま、リビングへ入ってくると、後に続いて蘭も、手を拭いながら付いてくる。

 「和葉なんかて聞こえたで。どうせまた、あたしの悪口言うてたんやろ。」

 「いやぁ・・・そら・・・そうや。和葉なんか料理へたくそやから、こんな美味いもん毎日食えて、工藤はええなぁて褒めてただけや。」

 取り繕ったその言葉も、まったくフォローになっていない事には、どうやら平次自身、気付いていないらしい。

 「何やて!」

 「ちょっと、服部君。」

 頬を紅潮させて怒る和葉の隣で、何故か蘭が照れている。

 そんな蘭の姿を見て、これまた何故か、新一まで照れてみせる。

 「おい、服部。いい加減にしろよ。」

 意外な2人の反応を、平次は一瞬不思議そうに見ていたが、すぐにそれが、自分がもたらした言葉のせいだと気付くと、からかう様にニヤニヤとした。

 そんな、妙な場の空気を救ったのは、またしてもひとりだけ何も気付いていない和葉だった。

 「あったまくるわ。どうせあたしは料理がへたくそや!!!」

 そう言うと、蘭が手にしていたタオルを取り上げ、平次の顔めがけて投げつけてから台所へとズカズカ戻って行った。                   

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